ジャーナリスト堀 潤が出会い、寄り添い、伝えた、人々の「生の声」5年の歳月をかけて追った「分断された世界」とは
ジャーナリスト堀 潤が出会い、
寄り添い、伝えた、人々の「生の声」
5年の歳月をかけて追った
「分断された世界」とは

2013年、初の監督作品であるドキュメンタリー映画『変身 - Metamorphosis』で、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故の歪んだ実態と、その現実に果敢に立ち向かう人々の姿を克明に描いた堀 潤。より機動的で自由な報道活動の場を求めて、2013年4月にNHKを退局し、フリージャーナリストとして独立した。フリー転身後も現場の人々の「生の声」を少しでも多くの人々に伝え、届けるため、日帰りの海外取材も厭わず、日々精力的に活動を続けている。その活動の場は、テレビ、雑誌、ラジオなどにとどまらず、自らが立ち上げた市民投稿型ニュースサイト「8bitNews」や、インターネットテレビ、SNSなど多岐にわたる。

そんな生粋の報道人、堀 潤が、あらゆる現場で共通に感じる“あること”。それは、“分断”の深まりである。堀が真摯に追いかけ続けてきた、東京電力福島第一原子力発電所事故後の現場をはじめとして、シリア、パレスチナ、朝鮮半島、香港、沖縄など、国内外の様々な社会課題の現場で生まれ、深まっていく“分断”。それはやがて、人々の心に癒しがたい猜疑と恐怖を生み、またたくまに差別や排斥を叫ぶ動きへと加速していく。そして、その結果深い痛みを負った、多くの罪なき人々の悲痛な訴えすら、その分断のために残酷な忘却と冷たい無関心にさらされるのである。なぜ、“分断”が生まれるのか?私たちは“誰”に分断されているのか?そして“誰”が人々に沈黙を強いるのか…?堀 潤は語る。「わたしには、どうしても許してはいけないと感じるものがある。それは“分断”だ」と。

前作、映画『変身 - Metamorphosis』から5年、東京電力福島第一原子力発電所事故の取材を開始してから約10年の歳月がたった。その間、ジャーナリスト堀 潤が、絶えず追いかけ、駆け抜けた世界中の報道の現場。そして、その現場で出会った人々の心に出来る限り寄り添おうと行ってきた、膨大な取材記録。それらが浮き彫りにした数々の「分断」の姿。あまたの「分断」の手当てをするべく、ジャーナリスト堀 潤が紡ぎだした渾身の映画作品が、本作『わたしは分断を許さない』である。

わたしには、どうしても許してはいけないと感じるものがある。それは「分断」だ。 この10年で、国内外の様々な社会課題の現場で「分断」が深まったと感じる。 人々の疑心暗鬼は、やがて差別や排斥をうむ。 2020年は東電福島第一原発事故から、そしてシリア内戦から10年目を迎える年だ。世間の忘却に耐え、未だ孤立し、支援を待つ人たちがいる。一体なぜここまで、そして一体誰がこの分断を生んだのか。わたしは世界各地の現場へ取材の旅に出た。どうしても分断の手当てが今必要だからだ。
堀 潤 (監督・脚本・編集・ナレーション)

Story物語

シリア、パレスチナ、朝鮮半島、
香港、福島、沖縄…
ジャーナリスト堀 潤が
出会い、寄り添い、伝えた、
人々の「生の声」とは———

堀 潤は「真実を見極めるためには、主語を小さくする必要がある」という。香港では“人権、自由、民主”を守る為に立ち上がった若者と出会い、ヨルダンの難民キャンプではシリアで拘束された父との再会を願い、いつか医者になり多くの命を救いたいと話す少女に出会う。美容師の深谷さんは福島の原発事故により、いまだに自宅へ戻ることが許されず、震災以来ハサミを握っていない。久保田さんは、震災後に息子を共に水戸から沖縄へ移住し、普天間から辺野古への新基地移設に対して反対運動を行う人々と出会った。彼女は「声をあげること」を通して、未来の為に“わたしたち”ができるのはなにかを見つけていく。

国内外の様々な社会課題の現場で深まる「分断」。ジャーナリスト堀 潤が、分断の真相に身を切る思いで迫っていく。