Cast登場人物

  • 年齢は2019年取材当時
陳 逸正Chin Issei
陳 逸正 Chin Issei
香港で生まれ育った24歳の青年。日本のアニメを見て独学で身につけた日本語はかなり堪能。香港の民主主義を守るための若者たちのデモについて、危険を顧みず自らの名前を顔を明らかにして語る。19歳のとき、雨傘運動に参加。現在は日本でStand With HK@JPNのメンバーとして、日本から香港への支援を呼びかける。
深谷 敬子Fukaya Keiko
深谷 敬子 Fukaya Keiko
福島県富岡町で美容師を営んできた。夫に先立たれてからは、自力で自宅横に美容院をオープン。常連さんやご近所さんに支えられてお店を切り盛りしていた。東京電力福島第一原発での事故で、原発から半径20キロ圏内にあたる富岡町から避難を強いられ、美容師という生業を奪われ、「生業を返せ!地域を返せ!」福島原発訴訟の原告団に加わった。
チョラク・メメットCyoraku Memetto
チョラク・メメット Cyoraku Memetto
クルド独立運動の支援者に対する、トルコ政府の迫害から逃れるため、2004年、日本の親族を頼って来日。2006年に妻と長男も来日し、難民申請を行ったが、難民申請は認められず、2018年1月、施設に収容されてしまった。現在は一時的に身柄の拘束を解かれ、収容施設を出ることができたが、その理由は明らかにされていない。チョラクさん一家は、他のクルド人家族と共に、東京地裁に対して在留特別許可を求める訴えを起こしている。
久保田 美奈穂Kubota Minaho
久保田 美奈穂 Kubota Minaho
東京電力福島第一原発での事故が起こるまで、茨城県水戸市に住んでいたが、原発事故後、被ばくの心配のない生活を求めて、子供たちとともに沖縄へ移住した。移住先となった沖縄で、辺野古への米軍基地移設に反対する人々と出会う。
大和田 新Oowada Arata
大和田 新 Oowada Arata
神奈川県生まれ。元ラジオ福島アナウンサーであり、編集局長をつとめた。現在はフリーアナウンサーとして活躍している。日本各地はもちろんのこと、世界各地を回り、東日本大震災の現場での体験を、講演を通じて語り続ける。
安田 純平Yasuda Jyunpei
安田 純平 Yasuda Jyunpei
埼玉県生まれ。一橋大学を卒業後、1997年、信濃毎日新聞に入社、記者として働く傍ら、休暇を取りアフガニスタンやイラクを取材した。2003年1月にフリージャーナリストとして独立し、バグダッドを拠点にクルド人地域、サマワなどを取材した。中東での豊富な取材経験を生かし、2011年にシリアが内戦状態となった直後から、現場入りし取材を重ねていた。2015年6月、シリアの武装勢力によって拘束され、2018年10月に開放されるまで自由を奪われた。著書に「ルポ 戦場出稼ぎ労働者」(2010年 集英社)などがある。
エルカシュ・ナジーブErukasyu najiibu
エルカシュ・ナジーブ Erukasyu najiibu
シリア生まれ。レバノンのベイルートアメリカン大学卒業後、イギリスのロンドンフィルムアカデミーで映画製作を学び、1997年に来日。制作会社リサーラ・メディアの代表として、日本や北東アジアにおいて取材を行っている。東日本大震災以降、東北を集中的に取材、アラブ諸国やヨーロッパのメディアに情報を配信し続けた。
仙道 洸Sendo kou
仙道 洸 Sendo kou
大阪に住む大学院生。最初に学生交流で平壌をおとずれたことがきっかけとなり、現在は大学院に進学し大阪市生野区、鶴橋の在日コリアンについての研究を行っている。
在日コリアンの友人たち、出会った方々のアイデンティティを通じ、平壌外国語大学の学生たちとの交流に、2年連続で参加。作中では学生代表として訪問している。
松永 晴子Mastunaga Haruko
松永 晴子 Mastunaga Haruko
愛知県生まれ。幼いころから音楽や芸術に親しみ、2009年、美術教員としてベトナムで働いたのち、2011年より青年海外協力隊の一員としてヨルダンに赴き、美術教育に携わる。2014年から、NPO法人「国境なき子どもたち」(KnK)で活動。2011年から内戦状態にあるシリアから逃れてきた人々が暮らすヨルダン・ザータリ難民キャンプで、子どもたちに音楽や演劇、美術などの教育を通じて、心のケアを行う。
ビサーンBisaan
ビサーン Bisaan
シリア、グータ出身の11歳の女の子。2011年から始まったシリアの内戦から逃れて、母親と兄と共に、ヨルダン北部のザアタリ難民キャンプへ逃れてきた。将来の夢は小児科のお医者さん。
アブドラAbudora
アブドラ Abudora
クルド人の少年。13歳。内戦を逃れて、ヨルダン市内に避難している。左頬が腫れる、原因不明の病に冒されている。精密な検査、治療が必要だが、移民に課せられた「移動制限」と金銭的負担のために叶わず、現在のところ治療のめどはたっていない。
むの たけじMuno Takeji
むの たけじ Muno Takeji
秋田県仙北軍六郷町(現・美郷町)生まれ。1936年3月に東京外国語学校を卒業後、株式会社報知新聞社に入社。地方支局と社会部で働いたのち、1940年に朝日新聞社東京本社、社会部に籍を移す。太平洋戦争中は従軍記者として戦場にも赴いたが、大本営発表に加担してしまった事に対し、新聞人としての自らを猛省。1945年8月、終戦の日に職を辞し、故郷秋田県に戻り苦悩の日々を送る。その後、横手市でタブロイド判「週刊たいまつ」を創刊。以降780号を発行し、戦争で破壊された農業・農村を立て直し、戦争いらぬ・やれぬ社会づくりを提言し続けた。1978年の休刊後は、著作や講演を通じて繰り返し反戦を訴えた。2016年、享年101歳で死去。
大田 昌秀Oota Masahide
大田 昌秀 Oota Masahide
沖縄県久米島生まれ。1945年3月、沖縄師範学校在学中に学徒兵として動員され、およそ20万人もの人々が犠牲になったといわれる過酷な沖縄戦の中、なんとか生き延びた。終戦後は琉球大学法文学部社会学科教授、同学部長をつとめる傍ら、ジャーナリズムと社会学、広報学などの研究を行い、沖縄の基地問題にかかわり続けてきた。1990~98年にわたって沖縄県知事を、2001~2007年には参議院議員をつとめる。大田平和総合研究所主催。2017年、享年92歳で死去。