「わたしは」って、誰のこと? 堀潤1人のこと?…と、異色のタイトルを見てまず思う。やがて、あの美しいラストシーンが終わって静かにエンドロールが現れた時、僕は深く納得する。
そこに次々と現れる名前は、たくさんの《わたし》。
登場人物だったり、市民メディアの映像提供者だったり、…それは群れとしての“私たち”ではなく、粒だった一人ひとりの《わたし》。
そうなんだ、そんなたくさんの《わたし》の共通の思いが、この映画のタイトルなんだ。堀潤は、その結節点になろうとしているんだ。
今も、きっとこれからも。